「食塩過多」に「ダイエット」…… 日本が抱える深刻な栄養課題
ソース: Wedge Infinity / 画像: 松永和紀 /著者: 松永和紀
東京栄養サミットとビジネスをどう結びつけるか
東京栄養サミット2021が12月7、8日、開催されています。栄養を巡るさまざまな課題について各国政府や国際機関、企業、市民団体などが取り組みを発表し、意見交換します。
世界は今、「飽食」と「飢餓」という両極端の栄養課題に同時に直面するといういわゆる「栄養の二重負荷」対応を迫られています。海外の食品企業は、製品を通じた栄養改善と健康への貢献を前面に打ち出し、食品企業の役割が激変しつつあります。
一方、日本では栄養に対する社会の関心が高いとは言えず、実際には諸外国とは異なる深刻な問題が進行中なのに、東京栄養サミットへの関心もさっぱり盛り上がりません。それに、「伝統的な和食、手作りに戻って健康に」「オーガニックで安全・安心」というようなニセ科学の俗説が大手を振ってまかり通っているのも懸念材料です。
食品企業の〝評価指標〟も欧米流が浸透?
陰ではさらに、困った課題が新たに生じています。肥満・飽食に悩む欧米が構築しつつある食品や食品企業に対する〝評価指標〟が、アジアや日本の食生活・食文化には合わないのです。
このまま欧米型指標がグローバルスタンダードになると、日本の食品企業の海外市場拡大はおぼつきません。国内でも、豊かな食文化が否定されかねません。これは、日本の食の危機。東京栄養サミット開催に合わせて3回にわたって、日本が直面する健康と栄養の課題に迫ります。
まず第1回は日本人の栄養の現状から。課題がある、と聞くと、食生活の洋風化による脂肪摂取過剰や加工食品の食品添加物などを心配する人が多いでしょう。しかし、専門家の見方は大きく異なります。
厚生労働省が今年6月にまとめた「自然に健康になれる持続可能な食環境づくりの推進に向けた検討会」報告書が主要な課題として挙げたのは①食塩(ナトリウム)の過剰摂取、②若年女性のやせ、③経済格差に伴う栄養格差……の3点。予想以上に深刻な実態が見えてきました。
最大の問題は食塩の過剰摂取
2019年の国民健康・栄養調査結果によれば、日本人の食塩摂取量の平均値は10.1㌘。1995年の13.9㌘から着実に減少しているように見えるのですが、高齢化で1人あたりの食事摂取量自体が減っていることなど考え合わせると、実は減塩はそれほど進んでいません。
日本人は1950年代には男性で平均して1日20㌘程度を摂っていたとされており、それに比べればずいぶんと減っています。しかし、「食事摂取基準2020」の目標量である男性7.5㌘、女性6.5㌘にはほど遠く、世界保健機関(WHO)の推奨量5㌘の2倍以上の数字。他国と比べても、かなり悪い状況です。
喫煙や高血圧など危険因子ごとに、どれくらいの関連死亡者が出ているかを調べた研究でも、塩分の高摂取は5番目。アルコール摂取や過体重・肥満よりリスクが高いことが示されています。
日本の特徴は、自宅調理から食塩を摂る割合が高く、醤油や味噌、マヨネーズなどの調味料類から食塩の6割以上を摂っていること。欧米ではパン、穀類、シリアルなど加工食品からの割合が高いため、これらで企業が加工の際に減塩を進めれば摂取量が下がります。
英国では、パン業界が少しずつ使用する食塩の量を減らして消費者が気づかないまま減塩が進み、結果的に国民の食塩摂取量は1割以上減りました。しかし、日本では加工食品で減塩されていても、醤油やマヨネーズなどを足して食べれば減塩にはつながりません。食文化が減塩を阻んでいる面があります。
若年女性のやせ問題も深刻
若い女性にやせている人が多いのも、他国と著しく異なる特徴です。ダイエット志向が異常とも言える状況です。日本肥満学会の定義では、体格指数(BMI)が18.5㌔グラム/立方㍍未満は「低体重(やせ)」とされています。その割合が、日本では9.3%(16年)。 経済協力開発機構(OECD)開発援助委員会加盟国の中で際立って高いのです。2位は韓国(5.2%)。ほとんどの国が1〜3%にとどまっています。
若い女性のやせは、早産や生まれた時に低体重の子ども(低出生体重児)を出産するリスクが高いことが研究によりわかっています。実際に、2500㍉グラム未満の低出生体重児の割合は他国に比べて多いのです。低出生体重児は、成人後の生活習慣病リスクを上げる、との仮説が指摘されています。そのほか、若い女性自身も骨量が低いなど健康課題を抱えがちです。
経済格差に伴う栄養格差
日本は、親が一人で子どもを育てる世帯で貧困率が高く、15年のOECDデータでは、韓国に続いて世界第2位となっています。貧困は栄養と関連があり、収入が低いと栄養に気を配る余裕が出てきません。
18年の国民健康・栄養調査で食品を選択する際に「栄養価」を重視すると回答した割合は、世帯所得が600万円以上の世帯では男性34.3%、女性62.1%だったのに対して、世帯所得200万円未満では男性25.3%、女性45.1%と低くなりました。
栄養素摂取を細かく見ても収入により違いがあります。世帯の年間収入が200万円未満の人たちはエネルギー摂取量自体が低くなっていました。また、収入が増えるにつれて炭水化物エネルギーの比率が低くなり、脂質エネルギー比率が高まっていました。
健康と栄養をめぐる課題はほかにも数多くありますが、厚労省は優先して取り組むべき課題としてこの3つを選び出したのです。
変わらない消費者を待つ時代は終わった
この3つは、これまでもしばしば指摘されてきました。「あぁ、またか」、と思われる読者も多いでしょう。とくに減塩については厚労省も長年、注意喚起に努めてきました。しかし、これほど日本で深刻だ、ということは社会に浸透していないのではないでしょうか。減塩食品を企業が開発販売しても売れ行きがよいわけではなく流通もなかなか扱ってくれず、すぐに終売、というようなことが繰り返されてきました。
では、今回の「自然に健康になれる持続可能な食環境づくりの推進に向けた検討会」もまた、指摘して報告書を出して終わるのか?
「いえ、厚労省は検討会設置にあたって、今回大きく踏み出した」と評価するのは、サステナビリティ経営・ESG投資の専門家であり検討会メンバーでもあった夫馬賢治さん。
「従来、厚労省は消費者に改善を呼びかけてきましたが、うまく進まなかった。今回の検討会は、消費者の変化を待つのではなく、産官学がまず変わっていくべきだ、というもの。その結果、消費者にとって『自然に健康になれる』環境ができる、というわけです。大きな方針転換です」と夫馬さんは説明します。
報告書は、国民のかなりの割合が食生活改善の意思がないことを明確にしています。19年の国民健康・栄養調査で尋ねたところ、男性の41.1%、女性の35.7%は「改善するつもりはない」などと答えているのです。食塩摂取についても、1日に8㌘以上を摂取し、日本やWHOの目標量をはるかに上回る食塩を摂っている人たちの約6割が改善の意思を持っていませんでした。
意識改革キャンペーンは限界
これまでのような国民個々を対象とした意識改革キャンペーンは限界があります。そこで、報告書は産官学の取り組みを具体的に提案しています。
食品事業者には、栄養や環境に配慮した食品開発を求めています。さらに、購入する消費者が合理的な選択をできるように、とくに食塩についてわかりやすくパッケージに表示するように求めています。流通業者には、これらの食品を小売店舗内の目立つ場所に陳列したり特売の対象としたりするなどの努力を求めています。
メディアに対しても、「若年女性のやせの問題については、メディアが発信する情報がダイエット行動に影響する可能性が指摘されている」などと明記。さらに、スポンサー企業に対しても、メディアの影響を十分に認識するように求めています。つまり、なにかメディアが問題のある情報発信をしたときには、スポンサー企業が動けよ、ということです。
本来、食品産業の製品開発や流通などの所管は農水省。厚労省は食品産業とは主に、食品衛生上の問題を取り締まるため厳しく監視指導する、という関係を結んできました。ところが、今回の報告書で国(厚労省)の役割として書かれているのは、商品や減塩レシピ開発に役立つデータ整備や環境づくり。そして、事業者の取り組みの意義や内容が事業者自身や消費者に理解されるような普及活動です。
厚労省は、産官学などをまとめる組織体を作り毎年、取り組みを報告してもらい、専用ウェブサイトで公表してゆく予定にしています。監視指導ではありません。
夫馬さんは、検討会で委員から意見が出てしぶしぶ、厚労省がこうした異例の報告書を認めたわけではなく、むしろ厚労省は積極的に、消費者への栄養指導中心ではなく、事業者のリードによる栄養改善へと変わったのだ、といいます。
その背景にあるのは、世界的な栄養施策の変化とESG投資の潮流です。夫馬さんは、「食品企業が、消費者は減塩食品を買ってくれない、などとぼやく時代は終わった。消費者の変化を待つのではなく、食品企業は健康と栄養を強く経営に取り込み製品を提供し、その結果、消費者が変わってゆく。金融市場は今、企業を厳しく見つめている」と指摘します。世界はどう変わってきているのか? 次回、解説します。