日本の味噌が〝悪い食品〟? 欧州ルールに飲まれる日
ソース: Wedge / 画像: Wedge /著者: 松永和紀
前回「「食塩過多」に「ダイエット」…… 日本が抱える深刻な栄養課題」で、厚生労働省の設置した「自然に健康になれる持続可能な食環境づくりの推進に向けた検討会」にて、事業者の取り組みを中心とした異例の報告書がまとめられたことを紹介しました。食品をどのように選び食べてゆくかは本来、個人の裁量です。国内の農林水産物生産者や食品企業は、消費者の嗜好に合う製品を販売し売上を伸ばしてゆくことに腐心してきました。
しかし、世界の潮流は大きく変化したようです。消費者迎合型ではなく、企業が率先して栄養改善と健康構築に製品やサービス面から取り組み、その動きが消費者を変える時代が来ています。
日本企業は残念ながら、対応が遅れています。さらには、欧米型の取り組みが世界で幅を利かせ、日本企業が正当に評価されず海外市場を失いかねない懸念も生じています。2回目は、世界の今と日本の隘路(あいろ)を解説します。
肥満飽食と飢餓、栄養の二重負荷に直面する世界
2015年の国連サミットで持続可能な開発目標(SDGs)が採択され、17の目標と169のターゲットが制定されました。目標2「飢餓をゼロに」、目標3「すべての人に健康と福祉を」など栄養改善の取り組みは、極めて重視されています。19年には国連食糧農業機関(FAO)と世界保健機関(WHO)が「持続可能で健康的な食事の実現に向けた指針」を公表しました。
世界で今、大きな問題となっているのは「栄養の二重負荷」です。過栄養・飽食による肥満と、低栄養・飢餓の両方が世界で深刻化し、個人や世帯、集団内でも同時に問題として存在しています。
経済協力開発機構(OECD)「 Health Statistics」によれば、主な国の15歳以上の世代の肥満率(BMI=30以上)は米国で40%、豪州27.9%、英国26.2%、フランス17%、スウェーデン13%、日本4.2%です。日本はもっとも低い国に位置付けられています。
一方、FAOによれば、低栄養 (undernourishment)の割合は、欧米、日本など先進国はおおむね3%。ソマリア60%、ハイチ47%、イエメン45%、イラク38%、モザンビーク31%、インド15%、フィリピン9%などとなっています。
そして、同じ国で肥満や低栄養による貧血、発育阻害などが重なって生じています。肥満は所得の高い国だけの問題ではありません。所得の低い国では、栄養に偏りがありエネルギー量の高い加工食品などを多く摂取し、価格が高めの生鮮食品などを含むバラエティに富んだ食生活を送れないことが肥満者の増大につながっている、とみられています。
地球上の78億人の食料生産と消費による天然資源枯渇や環境負荷、そして気候変動対策(食料生産消費が気候変動から受ける被害と、食料生産消費自体が気候変動を悪化させる両面での対応)なども考慮する必要があります。多方面から食の課題が社会にのしかかってきているのです。
食品企業の栄養軽視は、社会的なコストとなる
そこで重視されるようになっているのがESG(環境、社会、企業統治)投資です。従来の売上などの財務情報だけでなく、ESG要素を考慮し、企業経営のサステナビリティを評価し投資を行う潮流です。ESG投資に詳しいコンサルティング会社「ニューラル」の夫馬賢治さんは、「世界的には2002年ごろからESG投資を図る機関投資家が増えてきたが、日本で大きく動き出したのは2018年から」と言います。
栄養や環境への貢献というと、多くの人がイメージするのはCSR(企業の社会的責任)でしょう。食品企業の中にも、CSR活動として途上国における栄養改善援助や国内でのフードバンクサポートなどを行なっているところは多数あります。しかし、ESG投資は寄付や援助ではありません。課題解決に貢献しつつ投資のリターンを追求するのがESG投資です。
夫馬さんは、食品企業の栄養軽視は、図のように社会的なコストとなる、と指摘します。
機関投資家はESGに関する評価において水ストレスや生物多様性、製品のカーボンフットプリント、製品の安全性・品質、労働安全衛生、企業統治などの各項目を企業の特性に応じて重みづけします。食品業界では、栄養・健康への貢献が、高いウエイトを占めています。
製品表示に力を入れる世界の食品企業
では、海外の食品企業は具体的にどのような方法で、栄養改善を重視した製品やサービスを提供しているのか?
多くの企業が塩分や糖分、飽和脂肪酸などを減らしてゆくため、年次を区切って目標値を設定しています。世界最大の食品メーカー、ネスレは20年までに製品の塩分含有量を10%削減する、と目標を定めほぼ達成しました。
ネスレ日本の製品を見ても、栄養成分表示に非常に積極的であることがわかります。日本では、栄養成分表示が義務化されたのは20年4月からで、対象も熱量とたんぱく質、脂質、炭水化物、食塩相当量の5項目のみ。しかし、ネスレは以前から表示に取り組み、しかも、現在は脂質の中の飽和脂肪酸や炭水化物の内訳(糖質、糖類、食物繊維)なども詳しく表示しています。一食分の栄養を知らせる「ポーションガイダンス」にも力を入れています。
食べ過ぎに対して注意喚起しているのも大きな特徴。菓子のパッケージでも、「お菓子などの嗜好品は1日200キロカロリーまでが目安とされています」とし「1日2枚まで」と消費を抑制する文言が入っています。「どんどん食べて! 購入して!」ではないのです。
英日用品・食品大手のユニリーバも、同様に目標値を設定して製品の栄養改善に努めており、減塩についてはWHOの推奨量(1日5㌘まで)を満たす製品が20年には全製品の77%に達しました。
食品をクラス分けしてパッケージの前面に表示し、よい食品をわかりやすくする「Nutrient Profiling system(NPS)」を取り入れる企業や国も増えています。食品に含まれるたんぱく質や炭水化物量、熱量などの数値を示す栄養成分表示は、栄養学についてある程度の知識がないと意味がわかりにくいものです。
専門的な知識のない消費者もよい食品を区別できるように、AからEまでのクラス分けや星の数、赤黄青の信号マークなどを食品につけます。ネスレも、フランスで開発されたNutri-ScoreというAからEまでクラス分けする方式を採用し、一部の製品に表示する予定です。
世界の企業を評価するATNI
さらに、ESG投資家や食品企業が注目しているのが、「Global Access to Nutrition Index」という企業ランキング。オランダの非営利団体「Access to Nutrition Initiative(ATNI)」が公表しているもので、3年ぶりに公表された21年版では、表のような順位となりました。このような客観的な評価指標があれば、投資家はどこに投資するべきか判断しやすくなります。
世界の大企業25社が評価の対象となり、スコアがつけられました。スコアは、Governance(ガバナンス、12.5%)、Products(製品、35%)、Accessibility(入手可能性、15%)、Marketing(マーケティング、20%)、Lifestyle(生活習慣、2.5%)、Labeling(製品表示、10%)、Engagement(エンゲージメント、5%)をそれぞれ評価してつけられています。ちなみに、日本は明治、味の素のほか、サントリーが対象となり、同社は21位、スコアは1.1でした。
比重の大きなProducts、つまり製品は、オーストラリアのNPS、Health Star Rating(HSR)で評価しています。HSRは、熱量、飽和脂肪酸、糖類、ナトリウムを抑えているか、たんぱく質、食物繊維、野菜・果物・種実類・豆類を十分に摂れるかで食品をスコア化し、0.5から5までの星を付けるもの。ATNI2021年版では、25社の3万8176製品を評価し、31%の1万1797製品が基準の3.5星以上でした。
ATNIは投資家への要望として「Investor Expectations on Nutrition, Diet & Health」を策定しており、世界の71の機関投資家が賛同し署名しています。日本の野村アセットマネジメント、りそなアセットマネジメント、富国生命投資顧問、それに、三菱UFJトラスト&バンキングコーポレーション(米国)も含まれています。
対応なければASEANで売れなくなる?
今年10月、ATNIと野村アセットマネジメント、夫馬さんが代表取締役(CEO)を務めるニューラルが、日本にATNIを紹介するローンチイベントをオンラインで開催しました。
その中で、野村アセットマネジメントのシニアESGスペシャリスト・宮尾隆さんは、ファイナンシャルリターンと同時に、環境・社会課題の解決にインパクトをもたらすことも追求する「インパクト投資」を検討し、5月にATNIに参画したことを説明。「よりすぐれた食品会社に、より多くの資金、より長期の資金が流れることで、諸課題の解決に貢献できる」と語りました。
夫馬さんは、「栄養課題に後ろ向きの企業からは、投資家が去っていくことになる。欧米の流通・小売事業者の姿勢を見ると、日本企業の製品が海外の店頭で棚に置いてもらえない、ASEANで日本の食品が売れない、というような事態も想定される」と訴えます。
日本の食品企業にとって、栄養対策を視野に入れた製品づくり、サービス提供は、生き残ってゆくためにも急いで経営課題に取り込むべきものなのです。
矛盾も露呈してきたが……
ただし、世界各国で急加速する栄養課題への取り組みは最近、矛盾も露呈するようになってきました。投資が先行するのは資金に余裕のある欧米。過度の肥満、脂質や塩分の過剰摂取などを悩みとする国々です。食は非常に複雑なのに、わかりやすさを追求し、あまりにも単純に製品に良い、悪いとラベリングし、企業を評価することに対する反発が生まれています。
この10月、フランスの青かびチーズ「ロックフォール」の生産者が、栄養評価表示制度Nutri-scoreに異論を呈しました。フランスでは、Nutri-scoreが17年4月に導入され、流通などの求めに応じて多くの加工食品が表示を行わざるを得なくなっています。熱量、飽和脂肪酸、食塩、食物繊維などの含有量に応じてAからEまでクラス分けし、包装の前面に表示するもの。欧州連合(EU)でも導入が議論されています。
ところが、ロックフォールの分類は、糖分の多い飲料やスナックと同じDかE。AFP通信によれば、会見を開いた生産者は「保存料が入った超加工食品はAやB評価で、地元で生産されたわれわれの自然食品は汚名を着せられている」と主張したとのことです。
ロックフォールの原材料は羊の乳。脂質、とくに飽和脂肪酸が多く、塩辛いチーズは〝悪い食品〟となってしまいました。伝統的な製法にプライドを持つ生産者にとっては耐え難い事態です。
伝統的なチーズは、量を調整しながら食べれば食卓を豊かにするおいしい加工食品です。食が進まず摂取熱量が足りない高齢者も、食文化に根ざしたおいしいチーズがあれば、パンや野菜、果物など積極的に食べられ、栄養補給につながる、というような効果もあるかもしれません。なのに……。
つまり、製品個々にクラス分けする表示は単純明快ですが、〝悪い〟というレッテル貼りにつながるおそれもあり、本来の栄養改善の主眼である「多数の食品を組み合わせる食生活の改善」への貢献は測れないのです。しかし、ATNIなどの企業評価も、こうした個別食品への表示に重きを置いています。
日本の味噌や醤油なども同じ憂き目に合う可能性があります。欧米で用いられる指標で評価されれば、漬物や佃煮など伝統食品はどれも「とんでもなく悪い食品」、ということになりそうです。
さらに深刻なのは、欧米型の指標がアジア型の食生活には適用しにくい、という課題です。それにいち早く注目した味の素は、前述のATNIのローンチイベントで積極的に異論を唱え改善を提案するとともに、日本文化に合う独自の製品表示や栄養改善のアプローチを展開中です。第3回「アジアの特徴を生かす「食を通じて健康に」」では、味の素の西井孝明社長にインタビューします。
■修正履歴(2021年12月14日11時10分)
3頁目の「野村アセットマネージメント」は「野村アセットマネジメント」でした。訂正して、お詫び申し上げます。